五辻不動尊、五輪塔群、旧千燈寺跡を歩いて回る方もいるようですが、次の目的地の旧千燈寺跡まで車で移動しました。離合困難な道を上っていくと数軒の廃屋が目につきます。このあたりは、どこもきれいに整備された里山なのですが、地元の新聞社で働く舩山君によると、国東半島の過疎は深刻なんだそうです。
国東では、民家の庭に石の祠や五輪塔があるのも珍しくありません。

だだっぴろい駐車場には、他の車はありませんでした。舗装された道路を目的地に向かって下っていくと、転がっている獣の糞に、何やら動くものが・・・

糞虫のセンチコガネの仲間のようです。分かりますか?

旧千燈寺跡へと向かう道に、鳥居がありました。神仏習合発祥の地と言われる国東では、寺に鳥居があるのは珍しくないんです。

綺麗な石畳です。いつ頃、敷かれたのでしょうか?

上って行くと、すぐに伽藍の石垣が見えてきました。

伽藍を守る仁王像です。背後の岩を残した浮き彫りの仁王像は珍しいのだそうです。大友宗麟による焼き討ちや後世の火災で、建物は残っていません。

阿形仁王像の隣に、大きな銀杏の木がありました。紅葉の季節は見ものでしょうね。

仁王像の後ろから撮ってみました。

さらに進んで、石の階段を上って行くと・・・


奥の院が見えてきました。

この建物も岩の中に埋め込むように建てられています。

ここも無人ですが、自由に参拝することが出来ました。中にはたくさんの石仏が納められています。



建物横の岩には、磨崖仏が彫られています。かなり風化していますが、分かりますか。

奥の院に向かって左側に、仁聞菩薩入寂の岩屋があります。

仁聞菩薩が本当にいたのかどうか分かりませんが、多くの僧が修行していたのでしょうね。

奥の院に向かって右側の階段を上って行くと・・・

六所権現岩屋に出ました。ここも建物は残っていませんでした。

駐車場に戻るために階段を下って行くと・・・

杉の大木の根元に乾燥した砂があり、そこでアリジゴク(ウスバカゲロウの幼虫が作った巣)を見つけました。屋根があるわけではないですが、大木の葉が雨を防いでいるのでしょう。

駐車場に戻っても、車はふぇら~り~ただ1台でした。ここまで誰にも会いませんでした。

この後、西行戻し、千燈石仏、尻付岩屋、(現在の)千燈寺に行ってみました。西行戻し付近では、猪に遭遇しました。
国東では、民家の庭に石の祠や五輪塔があるのも珍しくありません。

だだっぴろい駐車場には、他の車はありませんでした。舗装された道路を目的地に向かって下っていくと、転がっている獣の糞に、何やら動くものが・・・

糞虫のセンチコガネの仲間のようです。分かりますか?

旧千燈寺跡へと向かう道に、鳥居がありました。神仏習合発祥の地と言われる国東では、寺に鳥居があるのは珍しくないんです。

綺麗な石畳です。いつ頃、敷かれたのでしょうか?

上って行くと、すぐに伽藍の石垣が見えてきました。

伽藍を守る仁王像です。背後の岩を残した浮き彫りの仁王像は珍しいのだそうです。大友宗麟による焼き討ちや後世の火災で、建物は残っていません。

阿形仁王像の隣に、大きな銀杏の木がありました。紅葉の季節は見ものでしょうね。

仁王像の後ろから撮ってみました。

さらに進んで、石の階段を上って行くと・・・


奥の院が見えてきました。

この建物も岩の中に埋め込むように建てられています。

ここも無人ですが、自由に参拝することが出来ました。中にはたくさんの石仏が納められています。



建物横の岩には、磨崖仏が彫られています。かなり風化していますが、分かりますか。

奥の院に向かって左側に、仁聞菩薩入寂の岩屋があります。

仁聞菩薩が本当にいたのかどうか分かりませんが、多くの僧が修行していたのでしょうね。

奥の院に向かって右側の階段を上って行くと・・・

六所権現岩屋に出ました。ここも建物は残っていませんでした。

駐車場に戻るために階段を下って行くと・・・

杉の大木の根元に乾燥した砂があり、そこでアリジゴク(ウスバカゲロウの幼虫が作った巣)を見つけました。屋根があるわけではないですが、大木の葉が雨を防いでいるのでしょう。

駐車場に戻っても、車はふぇら~り~ただ1台でした。ここまで誰にも会いませんでした。

この後、西行戻し、千燈石仏、尻付岩屋、(現在の)千燈寺に行ってみました。西行戻し付近では、猪に遭遇しました。
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